現代の音楽

日本の現代音楽の主な流れ

90年代に日本で人気を集めた2大ジャンルは「Jポップ」と「Jロック」です。現代のJポップやJロックは日本の伝統音楽にルーツがありますが、「ビートルズ」や「ビーチボーイズ」といった60年代のポップやロックのグループにも影響を受けています。そうした状況が「はっぴいえんど」などのバンドの誕生や70年代初期の音楽につながっていきました。シンセポップの「イエローマジックオーケストラ」やポップロックの「サザンオールスターズ」に代表される新しいバンドが、70年代後半のJポップ・Jロックを形成していきました。

これらの呼び名は洋楽と区別するために日本のメディアが生み出したもので、現在は日本のポピュラー音楽の大半に使われています。これらの音楽ジャンルは、近隣のアジアも含め、多くの音楽に大きな影響を与えています。近隣諸国は日本の音楽を模倣しながら独自のスタイルを築き上げています。

ジャマイカのレゲエとの深いつながり

「The Pioneers」は初めて日本に来たレゲエバンドであり、1975年にツアーを行いました。しかしレゲエ人気が高まったのは、ジャマイカのレゲエミュージシャン、ボブ・マーリーが79年に休暇で来日したことがきっかけでした。マーリーの目的は「フラワートラベリンバンド」を観ることでした。情報を探しているときに有名な日本人ドラマーの「ペッカー(橋田正人)」に出会い、バンドがすでに解散したことを知りました。ペッカーは日本とジャマイカの有名ミュージシャンのコラボを提案し、2人はすぐに仲良くなりました。

その結果、80年に「Pecker Power」と「Instant Rasta」という2枚のアルバムがジャマイカのChannel OneとTuff Gong Studioでレコーディングされました。アルバムに参加した主な日本人は吉田美奈子、坂本龍一、松岡直也、向井滋春、坂田明。ジャマイカからはオーガスタス・パブロ、スライ&ロビー、ザ・ウェイラーズ、リコ・ロドリゲス、カールトン・バレット、マルシア・グリフィスが参加しました。作品は両国のミュージシャンに影響を与え、日本にレゲエを広めた功績が認められています。ジャマイカと日本のミュージシャンの結びつきは今も強く、多くのコラボが実現しています。

独自の発展を遂げたジャズシーン

「ジャパニーズジャズ」とは、日本人が演奏するジャズや、日本や日本文化と何らかのつながりのあるジャズのことを指します。広い意味では、日本のジャズ遺産を意味する言葉としてよく使われます。ここ日本のジャズ愛好家の規模は世界最大とも言われることもあります。米国では日本文化の特徴をジャズに取り込もうとする動きがあり、それを「アジアンアメリカンジャズ」と呼びます。
ジャパニーズジャズはかつて米国でも日本でも、「アメリカンジャズの派生物」もしくは「受け入れがたい模倣品」と見なされていました。60年代、否定的な姿勢をとる聴衆に対して、日本のジャズミュージシャンが「国のカラー」を織り込み始めました。夫のルー・タバキンと長年、大所帯のバンドを率いていた秋吉敏子は作曲の際に日本の文化を取り入れました。「孤軍」(1974年)では鼓などの伝統楽器を使用し、「ロング・イエロー・ロード」(1975年)では日本の宮廷音楽の曲をアレンジしています。